私の作業にとって脳の研究の様々の知見は大変ありがたいもので、常に参考にさせてもらっています。昨日は、「第1回 全脳アーキテクチャシンポジウム」「第14回全脳アーキテクチャ勉強会」を聴講させてもらってきました。脳は素晴らしい知能という機能を実現している装置と改めて実感しました。ものすごく参考になる公演でした。
しかしながら、脳がもっとも理想的な知能機械であるとは限らないと考えています。私は、人間の脳をあまりにも忠実にモデル化することが、いずれ知能機械の研究には障害になると思っています。人間の設計図には、欠点らしきものもあることが知られています。「脳の設計図」も完璧であるとは限らないと思いませんか?以下、人間の設計図の欠点らしきものを2つ挙げてみます。
眼球の視神経の軸索は、眼球の内側を通って1つにまとめられ、盲点から眼球の外に出ています。眼球の外に出ると脳に信号を送るように伸びていますが、ここで疑問が生じます。なぜ、眼球の外側に軸索を配線しなかったのだろうか?内側に配線したために、「盲点」という欠点を生むことになったと考えることもできます。盲点が視覚情報処理にいい影響を与えていると考える人もいるかもしれませんが、盲点がなくても、脳で盲点のシミュレーションはできるはずで、欠点と考えたほうがいいと考えます。
足の関節も不審な点があります。力学的に計算すると、足の関節が鳥類のように逆にまがれば、もっと効率的に二足歩行ができます。これは、「ダチョウ」を見ればわかってもらえると思います。ダチョウは、二足歩行する動物の中で、極めて効率的に二足歩行ができ、極めて高速に走ることができます。人間はあれほど速く走ることはできません。足の筋力の問題もありますが、足の構造的欠陥の問題でもあります。
人工知能・知能機械に関して脳の研究は非常に参考になることに疑問の余地はないです。しかしながら、脳の研究に全面的に頼ってはいけないと考えています。私の立場の基本は「古典物理数学」の応用です。過去、古典物理数学は様々の問題を解決してきました。これらの知見を元にして、生物規範的な立場で、もう一度「古典物理数学」を見なおしてみているのが私の作業となっています。この中で、「脳」の研究は非常に大事ですが、進化論的にみて知能がどのようして機能しているかを考察することがもっと重要と感じています。先日の「遺伝子の水平伝播」の話題もそうですが、折りに触れて、具体例を提示しようと思っています。
「遺伝子の水平伝播」という言葉をご存知でしょうか。
ある立場の人工知能研究者には有名な話ですが、「脳の遺伝子アトラス」をご存知でしょうか。ヒトの脳のどこでどの遺伝子が働いているかを調べて全体像を地図にする脳の遺伝子発現マップ作成プロジェクトです。完成したと発表したのは、
「人間の脳」をモデルとして人工知能を設計しようと考えるのは、現時点で、決して、間違えではないと思います。わたしも、現在、ある意味、同様の立場をとっています。しかしながら、それだけで「技術的特異点」(Technological Singularity)を引き起こすような、全人類の知恵に匹敵するような、人間の知性を超えるような「超知能」ができるのでしょうか。すなわち、もう手を加える必要の全くない最終的な「人工知能】ができるのでしょうか?…。わたしはそう思いません。「生物界」全体をモデルとする必要があると考えています。
現在、ソフトウェアは、すべてデジタル情報として作られています。
あくまで仮説ですが、「普遍文法」という考え方があります。
「摂動法」という言葉をご存知でしょうか?私のニューラルネットワークの構成はこの「摂動法」の考え方を基礎としています。これは、もともと、18世紀に3体問題から導かれる非線形微分方程式系を近似的に解く手法として考えられたものです。コンピュータがなく数値計算ができなかった19世紀に、様々のテクが開発され、拡張され、非線形微分方程式系の解法の集大成となったものです。摂動法は、古典物理数学でよく知られるテーラー・マクローリン展開、固有関数展開、解析接続等を駆使します。ここでは、学校の古典物理数学の先生から怒られるのを覚悟で、非常にアバウトな説明をします。
最近、「人工知能AlphaGo」とか、「人工知能Watson」とかの言い回しを聞くと思います。一昔前は、高度なエアコンの温湿度調節や洗濯物の量を適切に自動計測する洗濯機も「人工知能搭載」と呼ばれていました。私が数式処理をいじっていた時代には数式処理を「人工知能」と呼んだりする人たちもいましたし、エクスパートシステムも、かつては、「人工知能」でした。更に昔には、どんな処理をしてようともコンピュータそのものを「電子頭脳」と呼んでいました。この「電子頭脳」も人工知能と同様のニュアンスですよね。「頭脳」という単語が使われているのですから。しかし、時間の流れとともに、人工知能と呼ばなくなっていきました。「単なる」ソフトウェアであると?面白いものですね。これらはすべて人間の知的活動をエミュレートしているソフトウェアなので、私は、人工知能と言ってもいいと思うのですが。