「遺伝子の水平伝播」という言葉をご存知でしょうか。wikipedia 遺伝子の水平伝播によると、「遺伝子の水平伝播(いでんしのすいへいでんぱ、Horizontal gene transfer(HGT)またはLateral gene transfer(LGT))は母細胞から娘細胞への遺伝ではなく、個体間や他生物間においておこる遺伝子の取り込みのこと。」とあります。これは、工学的な「知能の進化」にとって、非常に重要な概念と思っています。「脳科学基礎論としての生物言語学」(有川康二著) によると、「ネアンデルタール人が離散無限の働きを有する脳を作る遺伝子情報を持つウィルスに感染した結果、離散無限の性質を有する自然言語を生み出す脳を持つヒトに進化したとする「説」も提案されている」とあります。工学的には、遺伝的プログラミングを思い起こさせますが、遺伝的プログラミングも大規模になれば、同様の挙動について検討する必要がでるということ、と思います。
生物の進化は非常に多様性に富んでいます。たとえば、「ミトコンドリア」と「葉緑体」。これら2つは、細胞内共生説の代表的存在です。2つともに、核DNAとは別に独自に自律複製するDNAがあります。この2つが動物と植物を特徴づけているというのも面白いと思いませんか。人間社会にたとえると、居候が大家さんの社会的地位を担っているようなものですよね。
「進化論」も、日々、進化してますね。
「人間の脳」をモデルとして人工知能を設計しようと考えるのは、現時点で、決して、間違えではないと思います。わたしも、現在、ある意味、同様の立場をとっています。しかしながら、それだけで「技術的特異点」(Technological Singularity)を引き起こすような、全人類の知恵に匹敵するような、人間の知性を超えるような「超知能」ができるのでしょうか。すなわち、もう手を加える必要の全くない最終的な「人工知能】ができるのでしょうか?…。わたしはそう思いません。「生物界」全体をモデルとする必要があると考えています。
現在、ソフトウェアは、すべてデジタル情報として作られています。
あくまで仮説ですが、「普遍文法」という考え方があります。
最近、「人工知能AlphaGo」とか、「人工知能Watson」とかの言い回しを聞くと思います。一昔前は、高度なエアコンの温湿度調節や洗濯物の量を適切に自動計測する洗濯機も「人工知能搭載」と呼ばれていました。私が数式処理をいじっていた時代には数式処理を「人工知能」と呼んだりする人たちもいましたし、エクスパートシステムも、かつては、「人工知能」でした。更に昔には、どんな処理をしてようともコンピュータそのものを「電子頭脳」と呼んでいました。この「電子頭脳」も人工知能と同様のニュアンスですよね。「頭脳」という単語が使われているのですから。しかし、時間の流れとともに、人工知能と呼ばなくなっていきました。「単なる」ソフトウェアであると?面白いものですね。これらはすべて人間の知的活動をエミュレートしているソフトウェアなので、私は、人工知能と言ってもいいと思うのですが。